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2018. 10. 06

ビジネスマンとヨガー 二ヤマ『スワディヤーヤとイシュワラプラディヤーヤ』ー

第2段階目二ヤマ
修練による心の浄化
個人に対してすべきこと

第2段階目の『二ヤマ』の中にも5つ段階があります。

1)シャウチャ(体を清潔に保つ・清潔さ)
2)サントーシャ(足るを知る)
3)タパス(肉体を鍛錬する・厳しさ)
4)スワディヤーヤ(自己の教育)
5)イシュワラプラニダーナ(自分の行動と意思を神に捧げること)

第1段階目のヤマが全人類共通の戒めに対し、
第2段階目二ヤマは『個人』への規律として守るべき行動の掟となります。

第2段階目の4番目
『スワディヤーヤ』について
スワディヤーヤとは『自己の教育』

皆様にとって『教育』とは何を指しますか?どんな印象をうけますか?

私は、私の人生から「学ぶこと」を省くのであれば死んでいるも同然と感じるほど、
人の人生の中でとても重要な部分を占めると感じています。

日本では、大学を卒業した後に学ぶ場所が海外と比べると圧倒的に少ないのが現実です。
ヨガスタジオに関してはNYでは毎月必ず何かしらのWS(ワークショップ)や特別講義などが開催されています。
日本に帰国した当初は、そのリズムがついていたので、どこかに学びに行くことを熱心に続けていたのですが日本のヨガスタジオでは年に1度の大イベントのように海外講師が来ることだけで、毎月WSがあるスタジオはほぼありませんでした。

解剖学が好きな私は、色々と調べ”リンパマッサージの資格”内で行われる解剖学講座を受けたいがために、ヨガスタジオではない場所に足を運んだりしていましたが、空虚感がつのっていったのも事実です。
それは、講師と私との間に何もなかったから。私がやりたかったことは解剖学を学ぶことでしたが、ヨガを通した、ヨガのバックグラウンドがある講師に指導していただきたかったから。

それから、この5年間。
ヨガのことを学べるところはここにはないと感じ、では日本で学べることをたくさん学ぶと切り替え、
ハーブやグルテンフリー、アユールベーダを学び始めました。そして、その過程にもたくさんの良い指導者・悪い指導者にたくさんあってきました。最後にたどり着いた今の先生方にはこれからの人生も一緒に進んでいきたいと思える様な素晴らしい師です。

何かを学ぶ時に『盲目』になることがあります。
ですが、『教育』とは、ただ知識を頭に入れることだけではありません。
人がその『何か』を使って、講師を通じて学んで行くことを指します。
通信学習というものがある時代なのでピンとこないかもしれませんが、ヨガの通信教育自体がそもそもスワディヤーヤではないんじゃないかと個人的には思います。

アイアンガー先生の『ヨガの真髄』には

【教育とは、その人の中にある最上のものを引き出すことである】と記されています。

それは、
【講師が無知が聴衆の前で自分の知識を並べ立て、その講義や説教をただ聞くだけを指していません】

スワディヤーヤを習得していれば
*講師と学ぶものの心は一体となり
*お互いに愛が生まれ
*尊敬しあう

こうなると、説教はただの説教ではなくて、1つの心が相手の心に語りかけ

【スワディヤーヤを通して体得した尊い思想は
『血流に流れ込む様なもの』
でその人自身の生活と生命の一部になります】

後日。より深くお話ししますが*、
『師弟関係』という言葉は、今ではなくなりつつあるように感じます。
ヨガでも師のことを*グルと呼びます。
良い書物は悪い指導者にも勝る。という言葉があるほど、良い指導者に会うことは非常に難しいとされていて、
私自身もそう感じます。ですが、その過程で出会った先生からも学ぶことも良い場合も、悪い場合も両方あります。そういう行為を続け、共に教育の場を分かち合える様な師を是非見つけて欲しいと願います。

本を読まない・読めない。という方も多く出会います。
ですが、人生の困難に直面した時に良書に集中することによって解決できるのも真実です。ですが、これはある特定の信仰に属するというわけではないので、注意してください。

今あなたの『教育』スタートしましょう。

第2段階目最後5つ目は

『イシュワラプラニダーナ』
自在神祈念・自分の行動と意志を神に捧げること

イシュワラプラニダーナ=自分の行動と意志を神に捧げること。

神を信ずるものは
*いかなることにも失望しない
*常に心に輝きをもつことができ

全ての存在が神に属することを知っているものは
*うぬぼれの心によごされたり
*権力にのみこまれたりしない

神というと少し『これこそが宗教じゃないですか?』と言われる方も多いかと思います。
ですが、人は
*自己の能力とエネルギーと財産のすべてを使いきっても、なお成就できないときに

初めて神に頼ります。

こういう風にロジックに書く事も、個人的に少し違和感を覚える部分はありますが、
私たち日本人は八百万神(やおよろずのかみ)といって、古代日本の神観念がDNAの中にしっかり織り込まれているのは事実です。

ご自宅の近くに神社があるのは認めたくなくとも、目に見えて認めざるを得ない事実であり
日本の文化ですよね。

とても素晴らしいと思う文化の1つに、

*他の事を考える事

というのが、日本独特の風習があるように感じます。

*人を思っての行動・言動

これは、レストランや公共施設すべてのサービスのシステムの中に、世界が認めるほどのクオリティがあるのをよく感じます。(これに関してはまた別のお話で深く話します*)

真の愛とは何かに執着することでもなく、執着させることでもありません。(行き過ぎたサービス・やってあげてるからと見返りを求めるような仕事の仕方なども含む)
ヨガではこの『私』や『私のもの』という感情が失われたときに、個人の魂は最高の成長を遂げると言っています。
そして、自分の行為を全て神に捧げる事を学んでいるので、自己の中に神性を映し出すことができます。

ここまでで、やっと。
ヨガの第二段階目が終了します。

これが全てできたときに、私たちが’ヨガ’と呼んでいる動き『アーサナ』に初めてはいります。こんなことが、ヨガなのか?と思われる方ばかりかと思いますが、人は何千年も前から苦しみ・踠き(もがき)それを取り払うためにヨガが生まれました。自分には苦しみなどない。自分は強いそんな風に思う方もいるかもしれませんが、それは人としてありえません。人が人らしく、苦悩とともに、付き合う方法を4500年以上前から人々が続けて来たことが『ヨガ』。今の流行りや、体系的なものだけで惑わされず、しっかりと私が生きている間に日本の皆様にお伝えしていきたいと思っております。

次は第3段階目『アーサナ』についてお話したいのですが、少し、長くなりましたので間に違うお話を入れるかもしれません。その他、ヨガの疑問。なんでも受付中です。是非アンケートいただければと思います。

YukaNewYorkYogaは哲学を重んじながらヨガを指導しているスタジオです。
まずは体験から。
体感として感じてみてください。
皆様のご参加お待ちしております。

代々木上原・恵比寿
http://yukanyyoga.com/contact/

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